5:39テストの当日の日寝ぼけて芝山千代田駅行きのって学校の最寄り寝過ごして降りたことあります
薄暗くてめちゃくちゃ埃っぽい空気で廃墟感すごかったです
あと40分間隔で電車くるから諦めて散策しながらめちゃくちゃまった記憶があります
あとから知ったんですけど40分待たなくても成田空港へ連絡通路で歩いていけるんすね
ちなみにテストは間に合いました😂
タイトル見ただけで東成田だと思った
コンコースが仕切りで区切られてて上から覗くと当時のまま時が止まってるのが凄くいい
東成田駅は当時の成田空港にまつわる国の方針や、国鉄の諸事情なども絡み京成は都合が悪い位置や条件を飲まざるを得なかったらしい。京成がかわいそう。
しかし今では印旛方面からの空港アクセス線も開通させ、早さでは競合のJRに打ち勝った現在、京成の活躍が目覚ましい。
取手市民ですが全国単位の衰退駅8選でまさか取手が入るとは思いませんでした。
しかし、以前なら座る為に(都内勤務なのに)わざわざ天王台や我孫子から取手行きに乗る所謂無賃乗車が横行してたが、今はそこまでしなくても座ることが出来る。
衰退と言われても仕方がないのかもしれない。
取手の西友は現在、旧取手とうきゅうの1階に入っています。
こうしてみると、廃れた理由がいちばん深刻なのは最初の取手駅のような気がします
栄えていたころの理由も東京に近いからでしかないし
若松など、石炭の積み出ししてた駅は
もともとの構内が広すぎることもあって
衰退感がより強まりますよね。
留萌駅とか、室蘭駅とか。。。
積み出し港に限らず、
炭産地だった、北海道とか筑豊とかは大きく衰退した駅だらけ、ですね。
まさか美濃赤坂駅を紹介してくれるとは。
あと志摩磯部駅は95年と97年にスペイン村行った際に使ったなぁ。今はスペイン村自体が全然人いなくて平日などは軽く貸し切り状態にもなれるという話は良く聞く。
大変興味深く拝見させていただきました!あっという間の21分でした。
ぜひ新垂井駅を取り上げていただきたいです!
伊勢線(伊勢鉄道)開通後も寝台特急紀伊は四日市~津間は亀山経由で運転されていました。
上野駅も、全盛期と比べたらだいぶ衰退しています。寝台列車の大幅な廃止だったり、地平ホーム止まりの列車が少なくなったからです。
@@TOBUEXPRESSch 仙台から新幹線で東京へ来る人と、東京駅ではなく上野駅で待ち合わせしたことがあるのですが、降りた際の人の少なさに「ここは本当に東京の駅か」と思ったそうです。コロナの時で駅自体空いている時期ではありましたが・・
@@TOBUEXPRESSch 上野駅の新幹線ホームは地下5階にあり、20数年前に親父と一緒に行った事があるんですが足の悪い親父にとっては地下5階まで行かせたのは拷問に近かったかも、(汗)東京駅からにすれば良かったと気の毒に思いながら案内してました。
田舎に帰るとき亀山からの関西本線乗っていくけど、ノスタルジックな感じがして好きなんだよな
おすすめから見にきましたが、ゆっくりたちの語りのテンポや 10:43 の「つ かん」とかの聞きやすい間の取り方がお上手ですね。
内容も面白いのでチャンネル登録しました。今後も楽しみにしています。
黒磯駅…新幹線の停車駅から外れ、南は上野からの直通列車が無くなり、デッドセクションの位置変更の為に北は新白河(一部白河)止まりになるし、挙げ句の果てに駅弁まで無くなるなど、凄まじいまでの衰退ぶり。
板倉東洋大前駅(東武日光線、群馬県)も取り上げてほしかった。
あの備後落合駅に栄えていた時代があったと思うとロマンがある、、
個人的には昔は寂れていたけど今は栄えている駅も見てみたいです。
それは新宿駅や池袋駅がそうだし、埼玉・千葉・神奈川の東京への通勤列車が止まる駅は大体そうでしょう。
新宿駅は開設当時は列車が1日3往復しかなく、乗り遅れた人は駅そばの茶店でお茶飲みながら次の列車を待ったそうですよ。ちなみにこの時開設された路線は、品川から赤羽まで主に貨物輸送のための路線で途中駅は新宿しかなかったらしい。
池袋駅は、お屋敷街の目白駅に機関車を長時間停めておけない(煙と煤)から、そのために作った駅だそうで、出来たばかりの頃は周辺には何も無く駅しかないから駅袋と呼ばれたらしい。池袋駅南のビックリガードは「高架線を轟音で列車が通ってキツネやタヌキがビックリする」ということでそう呼ばれるようになった。山手線を最初から高架で計画した人は偉大。
昔寂れてて今栄えてる落差が大きい駅ではこの辺が一番じゃないかな。東京駅も、今の丸の内周辺は原っぱだったらしいので落差が激しいかな。とはいえ旧江戸城・皇居最寄り駅ではあるし、江戸時代から周辺に人はぎっしり住んでたからどうかな。
大宮駅、横浜駅などもそうではないかな。
以上、ネットや本で齧った話だけなので間違いがあるかもしれませんが。
昭和44年、自分の親父は出張で広島の工場を視察した後、翌日の朝に松江の工場を視察する予定だったので夜行ちどり(広島~米子間運行芸備・木次線経由)に乗車した。席は満席だったし、備後落合に着いたのは夜中の1時30分頃だったにも関わらず、新見行の始発に乗り換えるため下車した人が沢山いたと語っていました。
JR宇野みなと線の宇野駅も昔栄えた駅っすね。かつては本州四国を結ぶ重要な拠点だったのが、瀬戸大橋の開業などで港が衰退し、今は普通列車(毎時一本程度)と休祝日に走る観光列車一往復くらいしか止まらないので
瀬戸大橋線が強風による、運転見合わせとなった際、宇野⇄高松間をフェリーボート🚤利用による迂回を勧められることがあります。その際、宇野駅がやや混雑することになります。フェリーボート🚤乗り場へは、徒歩連絡で人の流れについていくことになります。なお、宇野みなと線は交通系IC、ICOCAやSuicaなどが使えます。
宇野駅の桟橋ダッシュ、今でも覚えています。
瀬戸大橋ができる前は宇高連絡船が本州と四国を結ぶ主要なルートでしたが、船には定員以上は乗れないことと、できれば座席を確保したいという思いで200m以上はあった連絡通路をダッシュしたものでした。
近鉄特急の志摩磯部駅到着放送で、パルケエスパーニャのテーマ曲が流れていたのが、これも鵜方駅到着時に流れるようになりました。
また、志摩線では多客時に臨時急行が走った事があったのですが、志摩磯部は通過でした。
また、快速みえで名古屋から伊勢方面に向かう際、河原田の分岐は名古屋から続いて来た立派な線路を直進すると伊勢鉄道、ポイントを入ると関西線です。JR東海ですらどちらを重視しているかがよくわかります。
この動画には選ばれていなくて自分がかつて利用した範囲内の駅だと、
かつては鉄道の街とまで言われていた信越本線の「横川駅」と
同じく信越本線の駅であり、かつては北陸本線の起点駅でもあった「直江津駅」かな。
横川駅は碓氷峠を越えるために上りも下りも必ず停車して、機関車を連結・切り離しをする重要な駅でした。
もう一方の直江津駅は、様々な特急や夜行列車が行き交い停車する北陸方面への重要なターミナル駅で、
なかなか見ごたえのある駅だったと記憶しています。
1990年代に取手住んでる友人に会いに毎週常磐線にのって通っていた取手駅、今じゃ寂れてるようでちょっと悲しいです。
浦佐駅前からです
信じられないでしょうが
冬になれば空いてるスペース 毘沙門天口
の全てに出店がギュウギュウに出店し
スキーを担いだ人々で溢れていたんです
今から40年も前ですがね
芸備線・木次線の陰陽連絡の凋落については伯備線・智頭急行よりも、むしろ高速道路の充実によるバスの所要時間短縮が大きい それも広島〜三次間の開通だけでほぼ互角だった
昭和44年、自分の親父は出張で広島の工場を視察した後、翌日の朝に松江の工場を視察する予定だったため夜行ちどり(広島~米子間芸備・木次線経由)に乗車した。車内は満席で、備後落合に着いたのは夜中の1時30分頃だったにも関わらず、新見行の始発に乗り換えるため下車した乗客が沢山いたと語っていました。
取手は緑快速の終点だから上野方面に向かう場合何が何でもボックスシートに座りたい、トイレが近い等の理由が無ければ確実に始発に座れるからオススメではあるんだけどね。
一昨年他界した祖母が小樽に90年近く住んでいたんですがかつては「北のウォール街」と言われる程賑わっていたんだとか。
確かに大型連休とかは観光客がそこそこ来るけど特急が走っていた頃とは比べ物にならないって言ってた。
小樽市は嘗ては北海道を代表する港町且つ金融街だったからな。
現在は「北海道の港町」と言えば室蘭市や苫小牧市になるし、金融街は大都市札幌が吸収してしまったからな。
浦佐駅と糸魚川駅は話せるみどりの窓口の券売機になりました。2019年に取手西友で酒とつまみを買いました。
備後落合駅は今後廃止不可避かも知れない。芸備線と木次線の前途は暗いと言わざるを得ない。夜行もあった急行ちどり号が懐かしい。
美濃赤坂駅は廃止された昼飯線への分岐の先にある踏切部にある場内信号が点灯したままなんだよな…
昼飯線の運行休止が80年代でそっから列車が全く走らなくなり2006年に正式に廃止されたものの場内信号機はその後も点灯したままという。
まだ撤去もされずついたままなんかね?
貨物の取り扱いや機関車の付け替え業務があってたくさんの鉄道職員でにぎわった、広島県の糸崎駅。
今は「中途半端な所で面倒な乗り換えをさせられるだけの駅」です。
取手駅はラッシュ時恒例の取手ダッシュが続いている限りは決して衰退したとは言えないのでは?
千代田線直通完全撤退や緑快速が減便・我孫子発着メインとなり日中は青快速オンリーになったらヤバいかもしれないが・・・
帯広駅も昔は賑わっていました。地下街あったり、2階に大きなゲーセンがあったりと遊べる駅でした。となりの長崎屋も土日には駐車場が満車なるほどの人気の商業施設など駅周辺は賑わっていましたが、今の申し訳程度の店がある、列車に乗るだけの場所になってしまっている。なので住民も列車に乗る以外目的ではいかなくなった駅です。
取手市に国内最大のイオンモールが25年オープンと、28年頃に始まるJR空港アクセス線が開通すれば、乗降者数も増えそうです
志摩磯部駅に関して。
この前鵜方駅経由でスペイン村行ったけど、もう一度磯部駅に戻してほしいな……。
志摩磯部駅と違って鵜方駅は普通の特急停車駅で、テンションが上がるようなものではなかった(某Vtuberからもツッコまれてましたね)。
大阪や名古屋からの観光客からすれば、スペイン村だけが目的の場合はむしろ磯部駅のほうが合計移動時間が少し短くなるはず。改悪されてしまったという感があります。
個人的には旧信越本線の横川駅が栄枯盛衰の筆頭だと思いました…
凄いですね。良く調べてありますね。ありがとうございます。
取手駅はそれでも常磐線の要の駅ですからね。
名古屋圏で乗降客数減少といえば、貨物が衰退してJRが発足して旅客列車本数を増やしたあおりで減った
名鉄の岐阜駅と一宮駅でしょうね。あと金山総合駅が出来た後のJR熱田駅の扱いの変化とか。
あと大垣駅。乗降客数はそんなに衰退してないかもしれませんが、駅内の賑わいは無くなったのではないかと思います。
そういえば、国鉄末期ちかくまで存在していた先代の駅は、空港と同じように入場用改札と退場用改札が分かれておりました。
なお美濃赤坂駅や養老鉄道の西大垣駅は、映画のロケで使われた実績があります。
時代は変化するもの。海外の資源を当てにできなくなれば、また鉱業が見直されて思わぬ駅が繁栄するかもしれません。
なかなかいいチョイスでした。
欲を言えば、新幹線開通を境に衰退した駅。直江津、小諸、黒磯、水上などだけど🔆
せめて直江津は取り上げて欲しかった。
元常磐線民です。数年前、久々に柏、取手訪れたんですが、明らかに人の流れ変わりましたね。つくばエクスプレスが主流になった印象。
柏もそごうが廃墟ですからね。まあ、時代は流れ、変わるってとこですかね。色々興味深い動画でした。ありがとうございます‼️
TXは運賃も高いし、まだまだ常磐線の方が主力(駅や街の衰退は取手に限った事では無く、都心から同じくらいの距離の本厚木や春日部なども似たようなもの)
取手市民ですがTXが出来てくれたことと団塊の世代が引退してくれたおかげで、駅は混雑しなくなり、酔っぱらいも少なくなり良くなったよ。20年前に千葉の大学へ通ってたころはゴミゴミして正直嫌だった。
@@user-ij4ro1pw8d 確かに20年前に比べて電車は利用しやすくなりました(常磐線に限らず、何処の路線も)
コロナ禍によるテレワーク化や、鉄道会社が、設備の更新に力を入れている事など、理由は色々有ると思います。
0:23 浦佐駅ができた経緯として越後湯沢駅と長岡駅間にもう1駅欲しいってことで誕生した 候補として2駅先の小出駅(只見線ある駅)があったけど長岡に近いということで浦佐駅に新幹線ホームができた
田中角栄が通したようなもんだから実家に近い浦佐にも駅を作れって話でしょ,当時新潟県内は駅一つでさえ角栄の了解なしに作れないそれだけの利権をこの男は保持していました。浦佐には田中角栄の銅像があります。浦佐駅の衰退は新潟県内での田中の存在価値が消滅したのと比例します。まさに栄枯盛衰
ガソリンカーが衰退した理由は西成線脱線火災事故ですね
それほど寂れている印象はないが津山駅も12両対応の立派なホームに1両か2両の列車がちょこんと停まっていたり跨線橋が使用停止になっていたりする。かつては陰陽連絡のメインルートとしてもっと栄えていたんだろうということが想像出来る。
そういえば関西本線非電化区間の各駅もホームの有効長が異常に長いのが印象的。
浦佐もだけど、越後湯沢も30年前と比べたら駅だけでなく町自体が寂れているね。
6:59 支線で思い出したが「ぶらり途中下車の旅」は支線の旅が全然ないんだよな。
丸ノ内線支線ぐらいは取り上げても良いとは思うのだが。
あの汐見橋線も貨物扱っていた時代は賑わっていたという
取手はTX開通前、さらに万博前の中距離赤電が少ない頃は茨城県の玄関口で当駅から各方面へのバス路線が伸びていましたが大分整理されてしまいました。取手ほどではないが土浦も駅前の商業施設が減りましたね、取手ー守谷、つくばー土浦、が栄枯盛衰似たような感じです。亀山の地位低下はSHARPの件も関係しているそうです。
良い動画です
鉄道に興味はないのですが、わかりやすくて良かったです。
栄えて混雑している時の写真あるともっと良かったですねw
取手駅の西友は駅前のリポンとりでというショッピングモールの1Fで営業してますよ。
かつて栄えていた駅と言えば、山王駅 / ナゴヤ球場前駅が印象的ですね。
10.8決戦と共に幕を下ろしたナゴヤ球場前駅、今では長いホームと不自然な出入口が残るのみの山王駅………
山王駅とはJRや新幹線が併走しているため、時折撮り鉄の方がカメラを向けているのを見ます。
産まれた時にはもう閑散としていましたが、ナゴヤ球場が盛んな時代はごった返していたのかと思うと、一度この目でシャッターの先を見たい気持ちに駆られます。
中日戦がある日は優等全種別が臨時停車してました。当時は特急急行も8両運転がざらにありホームが8両対応なのはその名残です。今は平日朝8時台に停車本数確保で急行が1本特別停車するだけになってしまいましたね。
東北本線小牛田駅もかなあ?
陸羽東線、石巻線も含め3路線の乗り入れ、接続駅で気仙沼線が当駅発着している重要駅だったのが
東日本大震災の影響で気仙沼線の一部が廃止→BRT化され、他の路線も乗客数が減少状態に
20年ほど前、1件目で出てくる「六日町」に住んでいました。
「平成の大合併」でできた南魚沼市でも、中心なのは六日町ですねー。
若松駅に類似している駅で同じ福岡の門司港駅があるけど、あそこは観光に特化したのと、下関との相乗効果で退廃は免れたような気がする。ただ鉄道の拠点としては既に機能は失っているんだよね 関門トンネルがあるから。
若松駅の初代と二代目駅舎のデザインが素敵ですね!旧志摩スペイン村最寄り?駅も好きです!
青森の八戸市の八戸駅や本八戸駅周辺も貨物が廃止されて残念な感じですね。非電化なのに高架線だったり、廃止された貨物線もまだ現役のように見えたり、けっこう面白いですよ。
取手駅は以前はJR東日本駅100以内の乗車人員の5万人が現在は2万人になりました。
が、まだまだ2万人越えの乗車人員がある中、廃墟という表現はおかしいのではないでしょうか?
成田新幹線は祖父が東京駅地下など色々と建設にかかわっていたので聞くたびに何とも言えない気分になる。
個人的には、岡山の美作三湯の一つの湯原温泉の玄関口の中国勝山駅も寂れた駅。とにかく窓口も無ければ、バス停も小さい。タクシーの運転手に聞いた話では、昭和50年代は、週末大阪方面からのディーゼル急行に乗ってきた団体客でごった返していたとの事。米子自動車道の開通によりマイカーとかに太刀打ち出来なくなったからだと言われている。
広島の備後落合駅は私の後輩が通学で使っていました
私も2、3度利用しましたが、全部止まりました。(置き石、置き自転車、鹿の衝突で)
うちの地元広島でも、いつも芸備線と木次線の継続危機の話が取り上げられています
昭和の時代に取手に住んでいました。西友、カタクラ、東急と駅前にあり、常総線も4両編成でした。更地から駅、駅前商業施設、周辺住宅と開発出来るTX沿線に軍配が上がっており、取手は当時に比べると駅前も常総線も寂れてしまっていますが、それでも茨城県では2位の乗降客がいます。
取手駅は、常磐快速線は上野東京ラインを経由して品川駅まで、常磐緩行線は千代田線と小田急線を経由して向ヶ丘遊園駅まで一本で行けるし、TXより利便性が高いと思う。
@@johnduegombei いや取手から上り側は常磐線が複々線で最大15両だし、運送能力が違うよ(そのぶん、寝過ごしには気をつけて)
北千住駅にいると(なんで東急が来るんだ??)といろんな路線が入り乱れます
@@user-be4jp6bk4q 常磐快速線の運送能力が高いということもTXに対する優位性だと思いますが?
あと、北千住駅では(日比谷線で)昔から東急の車両を見る事は出来た(今は逆に日比谷線に東急の車両が入らないけど)
浦佐駅かと思ったら浦佐駅でした。以前は小上がりになっていた待合室も撤去されて寂しいものです。よく行く温泉の送迎駅なので定期的に利用していますが、行くたびに寂寥感が増していく気がします。
確かに利用者数が減少してしまった駅は多いだろうけど、それでも鉄道が残っているだけまだ良い方だろう。
鹿児島県の大口や宮之城、鹿屋などは、旧国鉄の複数路線が乗り入れていたターミナル駅で、とりわけ宮之城などは「鉄道の町」として栄えたところだった。それがいずれの駅も乗り入れていた路線が全て廃線となり、駅舎があったところも市民センターに建て直されるなど、もはや鉄道があったことの足跡さえ無くなってしまっているところも多い。
15:56 の「備後落合駅」の情景がいいなあ
TXの影響で廃れてしまった取手駅ですが常磐線が色々と進化していて頑張っていますね
@@user-be4jp6bk4q 柏市は千葉県を代表する大きな都市だし、その中心となる柏駅も通勤通学客で賑わっている。
しかし、駅前の大型デパートが一つ消えただけで勢い無く感じてしまうんだからな。
同じく筑豊本線が乗り入れていた原田駅も篠栗線(吉塚〜桂川)開通までは栄えていたらしいですね
筑豊本線の若松駅は、かつては、筑豊炭田の石炭の積み出し港で賑わったのに、炭鉱閉山で一気に廃れて、ワンマン運転の発着駅に降格して、無人駅になってしまった。
広い亀山駅構内に一両の気動車
初めて行ったときは寂しさを感じた
函館駅も、連絡船時代は札幌方面へ向かう特急・急行が多数走り、江差線や松前線も乗り入れ賑わっていました。
新幹線が開業してからは、寂しい駅になりましたね。
取手は常総線がとにかく高いってイメージが強い。
関係ないけど、昔駅ビルに電車が突っ込んだ事故あったなぁ。
上越新幹線は、もっと曲線カーブがきつくて、最高速度が遅くてもよかったから、上越線の主要駅を通るようにすべきだった。新前橋・渋川・沼田・水上・六日町・小出・越後川口・小千谷・・・主要駅や乗り換え駅をことごとくスルーしてる。大雪で上越線が不通になると、上越新幹線で振り替え輸送してるけど、新幹線は主要駅を通らない。
急行「ちどり」が懐かしすぎたのか、きのうKATOの「Nゲージ キハ58系 4両セット」を購入してしまいました(笑)
11:39 シャープが進出する前から駅は寂れていてシャープが操業したといって駅需要の回復もなく、シャープと亀山駅は全く関係ないですね
南海・和歌山港。明石海峡大橋の開業で四国の玄関口としての機能をほぼ喪失。かつては「四国の人が最初に電車を見た駅」だった。
津山。中国地方山間部有数のジャンクション駅だったが、智頭急行の開業や高速バスの開業により、3路線中2路線が廃止協議レベルとなり見る影もなく衰退。今では列車より駅前から出る高速バスのほうが本数が多い。
近鉄・湯の山温泉。上本町や名古屋から直通列車が乗り入れていた時代もあったが、道路網の整備もあり現在は普通列車のみに。さらに新名神にトドメを刺され、現在では駅利用者数よりアクアイグニス駐車場の車の台数のが多い。
名鉄・吉良吉田。かつては三河線も乗り入れていたり名古屋から観光列車も乗り入れていた観光拠点駅だったが、現在では特急の乗り入れはなくなり、乗り入れている路線がすべて存廃協議レベル。
道路整備の裏で衰退した駅をパッと思いついた4駅。他にも多分ありますね…新幹線や他の駅に昇華されてない分、並行在来線より悲惨だったりする…
津山駅前を発着する高速バスも、近年はダイヤが変わる度に本数減ってますorz
オマケに津山駅前の高速バスチケット売り場も2021年3月末に廃止されてますorz
(webか電話で事前に予約入れないといけなくなった)
▽_ _;▽
名鉄山王駅をお忘れか?まだナゴヤドームが建設されていなかった頃は、種別を問わずに特別(臨時?)停車するほど賑やかだったのに、今ではその賑わいはどこへやら、とても閑散としてしまった
寂れてまではありませんが、かつてターミナルだったものの、事情によってそうでなくなった駅では両国駅でしょうか。総武快速線が開業する前に房総方面特急、急行が始発駅で、総武快速線が開業したあともこの駅発特急があったものの、今は各駅停車のみになったそう。ほかにターミナルではないものの、伊豆急行の蓮台寺駅は、普通のみの停車駅から一時は全ての特急が停車していたものの、今は再び普通のみの停車駅となったそう…
都心のど真ん中に有るとはいえ、嘗てのターミナル駅で引き込み線も多数有って(現在の両国国技館や江戸東京博物館)それらが整理縮小されたので「寂れた駅」と言えそうです。
正味、美濃赤坂線は旅客輸送なくなっても大垣駅まで車ですぐだし、バスもあるしで
そこまで利用者に痛手ではないとは思う。
お〜我らが備後落合駅が!
子供の頃、夏休みに田舎の爺さん家に行く時に利用してました。うどんも懐かしい。私の中ではNO1駅です。
16:06 EF58が阪和線で旅客ダイヤを乱さないよう、貨物列車を牽引していた頃の写真ですね。
備後落合駅は、機関車を収納する立派な屋根付き機関庫があり、夜間留置もたくさんあったのに、2021年ダイヤ改正でついに夜間留置がなくなりました。
志布志駅や吉松駅も取り上げて欲しいですね
浦佐のスキー場には一度だけ行ったことがあり、駅前ということもあって非常に混雑していたのを覚えています。
今は廃止された夕張支線も廃止当時は線路が1本だけでしたが1駅ごとが、かつての栄光が残る駅でした。
わたしの母校の街取手が
扱われていて驚きました。
90年から93年に利用していました。
とうきゅうの本屋さんをよく使っていました。
その後縁あって東口の塾に
2009・10年に勤めました。
やや寂れていた感じがしました。
それから12年たちました。
全ては遠い思い出です。
やはり日本が少子高齢化で衰退しているのが現れてて寂しい
コロナ後の国内旅行増で少しでも活気が出てほしい。
まさかこのチャンネルでも[関東鉄道常総線]が聞けるのがすごい。
浦佐スキー場は、スキーブームの間でもレジャー目的のスキー場というより、バッジテストを受けるための道場といった趣が強かった印象がありますね。
あと記憶に残っているのは駅前にある田中角栄の銅像で、ヨッシャと片手をあげたお馴染みのポースをとっています。
銅像の台座の高さは、三八豪雪と言われた昭和38年の積雪量より高くしてあって、角栄先生が雪に埋もれないようにしてあるんだとか。
取手市民です。
全くその通りです。
その昔、朝ラッシュの関鉄常総線取手行は4両くらいで走ってましたが、
TX開業後は2両でも間に合うほど。
東口のヨーカドー、西口のとうきゅうが閉店した原因は
多分戸頭にできたイオンでしょう。
ただ、交通手段が自家用車以外なく不便だったので
とっとと閉店。取手から大型店が消えました。
取手はやはり関鉄常総線の暴走事故が印象に残ってますね。
東成田駅と成田空港を結ぶ連絡通路も写真を掲載してほしかったです。SF映画に出てきそうな光景です。
東北・常磐線の上野駅も中々の盛者必衰っぷり
特にエキュートがある橋上改札側に比べて、地平ホームや新幹線改札内は途中駅化されてから本当に人がいなくなった
逆を言えば山手線や京浜東北線の混雑緩和という目的をしっかり果たしてるとも言えるけど
備後落合はあと30年もすると路線も駅も集落もなくなって自然に還ってそう。
備後落合駅には以前、特別に許可を貰い夜間宿泊(いわゆる野宿)しました。
おでんうどんが美味しかったですね🎵
衰退したところで有名どころだと広島のポートピアだったり鬼怒川とか越後湯沢なんかも行くと、広い割に使われてない所いっぱいあって廃れ具合がわかりますよね