C51とC57パシフィックの系譜~Genealogy of Steam locomotive type C51 and C57

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  • čas přidán 10. 09. 2024
  • 大正時代に登場したC51はアルコのパシフィック8900をベースに、高速狙いで1750㎜の動輪を持つ鉄道院のブレークスルーの機関車だったと言えます。多くの生産台数、標準軌に改軌し中支に送られこと、超特急燕の牽引、お召列車の牽引回数の多さ…が頭に直ぐ浮かび上がりますが、そのような華やかな活躍は一面であり、北海道から九州まで各地の地方幹線のサービス向上をギリギリまで改善した画期的な機関車です。
    もうこれ以上の性能は不要とまで言わしめたことで、C51は改良を重ね、その過程では台車を変えたC54、C54のネガを徹底的に洗い出し改造されたC55、そして最終的にC57四次形に繋がる大きな流れの源流となったのです。重く、長くなって性能向上するのは当たり前ですが、その対応のための闘志は莫大になりますから、ある意味で国鉄の標準に繋がったのですね。今回の内容では、C51はDL化の前にはC57に必ず置き換わっていったことを各地の例を取り上げて検証してみようと思います。
    #蒸気機関車 #rollingstock #c57 #c62 #d51 #c51 #梅小路 #train

Komentáře • 91

  • @SleeperExpressJNR
    @SleeperExpressJNR Před 2 měsíci +9

    寧ろC51~C54・C55・C57そしてC61の系譜こそが本邦旅客用蒸機の正統派で、C53・C59・C62こそが特甲線たる東海道・山陽本線に特化した例外的なカマだったのでは?
    閑話休題。3:22からの重連客レ、前補機C51・本務機C57の列車は然し、カマ次位の客車がオハフ61ですから急行とは考えにくいですね(あの当時でも流石に定期の急行・準急に鋼体化客車は努めて避けられていました。例外はオハニ36=電暖改造車はスハニ37=位なもの。尚オロ61・オロフ61=後のスロ62・スロフ62=は余剰オハ61の有効活用)。
    後年ボックス動輪化したC51も多々登場しましたが単に部品の共通化だったのでしょうね(C57・C59・C60・C61・C62と共用可能)。ただ、工場長こと久保田博氏の言によれば、C51・C54のスポーク動輪は強度不足も感じたものの、C55の所謂水掻きスポーク動輪は強度もしっかりしていた由。C57もこれにすればよかったのに…とは思うものの恐らくは…重量配分との兼ね合いでボックス動輪になったのでは?あくまで推測です。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      SleeperExpressJNRさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      機関車の系譜はそれぞれ考え方や後付けの考え方があるのでしょうね。
      C51xC57の客レのご説明良くわかりました。前後のネガをもっとよく見てみますね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      SleeperExpressJNRさん、次コマをお借りしてきましたので、ご判断を仰ぎたいです。
      コミュニティにアップしましたのでよろしくお願いします。
      参宮快速?だった場合、ロザ連結していたのでしょうか?

  • @honwakasin
    @honwakasin Před 2 měsíci +5

    C51、C57ともに、関西本線経由で奈良や京都方面に行く急行、快速、普通はありました。特に姫路快速(参宮快速)は有名でした。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      ほんわか慎さん、ご視聴頂きありがとうございます。参宮快速のことは知っています。草津線経由の2441/2442列車ですよね。C51はわかるのですが、C57になってからも蒸機けん引であったのか?が検証できていないのです。(奈良行きもなのです)

    • @honwakasin
      @honwakasin Před 2 měsíci +1

      C57が牽引する客車列車はよく写ってますがどうでしょうね。DF50は関西線運用にはあまり入ってなさそうですね

  • @rayalfa5098
    @rayalfa5098 Před 2 měsíci +5

    C51は良いですよね ボックス動輪換装は違和感ありますが…
    見慣れている所為か日本の蒸気機関車は海外のものより風情があるように思えます。
    真っ黒で派手さが無いからかもしれませんが…
    動画内で紹介されていたので 話は変わりますが
    大阪の交通科学博物館閉館の2か月前に大阪出身の友人と愛知から大阪に出かけました。
    交通科学博物館を見学した後に共永工業のC57の話をしたら 友人から「歩いて行ける距離だよ」と言われ
    共永工業まで見学に行きました。
    ピカピカに磨かれたC57はすごくきれいで夢中で写真を撮りました。
    壁面にある無数のナンバープレートも大迫力で 建物奥にある動輪もきれいに磨かれて鎮座していました。
    蒸気機関車をメインに据えた美術館と言えると思います。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      Ray Alfaさん、ご視聴いただきありがとうございます。
      私はボックス動輪のC51意外と好きな方です。
      共永興行さんのC57-148ですが、本当はC62が欲しかったそうです。なくて仕方なくC57-148になったそうです。あれはオリジナルはグリーンのナンバープレートだったんです。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u Před 2 měsíci +9

    実は、「ゆ研さん」のC51を取り上げた過去の動画で、パイプ煙突、ボックス動輪付け替えを知りました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +4

      小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
      8620もボックス動輪多いですよね。D62がプレス一枚板の動輪というのもありました。C51の動輪は鋳造が悪くて多くの動輪が交換されました。

  • @user-gx1ho2ts2r
    @user-gx1ho2ts2r Před 2 měsíci +6

    6:13のc62 27は結構早くに消えてしまったから北海道での写真は意外と貴重

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      空き缶さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      C62-27の第一先倫がC59のスポークのに換えてありとても好きです。

  • @toriri-service
    @toriri-service Před 2 měsíci +6

    C51に 『ボックス動輪』のがあったなんて 恥ずかしながら存じませんでした🙇💦
    (あと 3:33 背の高い鉄柱の『ハエタタキ』なんてのもあったんですね。)
    やはり『スポーク動輪』のC51の方が男性的な凛々しさを感じますが 『貴婦人』と呼ばれた女性的なイメージのC57の方が 引張力は劣るものの若干軽くてスピードも出たから あらゆる線区で『使いやすいカマ』だったんでしょうね。
    最近 あの方の動画でも観ましたが 播但線『生野峠』のC57三重連は 女性的なカマらしからぬ迫力を感じました。

  • @hmshood302
    @hmshood302 Před 2 měsíci +6

    郡山工機の近くに居住した頃、すでに本線運用から外れたC51D50等の赤錆びた姿が哀れで、大きな水車のような動輪が印象に残ります。西欧から学んだ過程で古典的落ち着きを有したデザインは、旅を支える旅客機として美しさと深い郷愁を禁じえません。久しぶりに旅情を堪能しました。また本機の話題に触れる機会を楽しみします。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      HMS HOODさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      当時スポーク動輪しかなく、鋳造技術も鉄の素材も英国に数段後れを取っていたので、巣穴から折れたり、曲がったりしたので、後年の技術であるボックス動輪になったのですね。一方英国は最後までスポーク動輪で押し通したので、やはりすごいなと思います。

  • @成田述史
    @成田述史 Před 2 měsíci +5

    C57はもちろん、C51も今回が初出のお写真が多いようで、ありがたいと同時に驚きです。
    5:03ごろからのC51 57号機と143号機が並んでいる写真が好きです。
    化粧煙突が残っているのとパイプ煙突に改装されたのと、ボックス型動輪に履き替えたのと通常のスポークのままなのと、デフも前照灯も形状が違うのが面白いです。
    最終的にC51の多くはC57に置き換わり引退したとはいっても、C54・55・57と合わせて280両が国鉄向けに製造され、C51と長きにわたり共存していたことは、地方幹線だけでも旅客輸送量がちょうど倍増して、置き換えでなく勢力増強が必要だったことの現れとも思います。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      成田さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      今回は良い写真をお借りできました。紀勢線のC51xC57はなかなかですよね。
      梅小路のC51は原型にこだわるつもりで給水温め器を取り払ったようですが、C51現役時代は殆ど原型をとどめるのは少数で、あれこれ言われる方多いのですが、私はどれも面白くて好きです。

  • @user-qg2kl7cg8f
    @user-qg2kl7cg8f Před 2 měsíci +6

    C57は燃焼室付いてたらなーと思う所があります

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      ぽていとぉぉぉぉさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      燃焼室つけてボイラー50㎝短くすると面白そうです。

  • @user-lp4vp8cf2y
    @user-lp4vp8cf2y Před 2 měsíci +5

    C51は私が生まれる前に運用を終えおり印象に強く残っているのは、図鑑で見たつばめの運用ですが、今回第一線を退いた後のC51の運用を知る事が出来ました
    東北線も運用されてたらしいですが、父が写真を撮り始めた頃にはC60.61になってたそうです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      デカミツさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      そうですかデカミツさんはとてもお若いんですね。大正のハチハチ艦隊の後を引き継いだのがC51ということなんでしょうね。

  • @user-bk1sp2gc8q
    @user-bk1sp2gc8q Před 2 měsíci +7

    C51は掛け値なしに省型旅客用機関車の最高傑作と言えますからな
    本線用大型機のC53やC59の元祖でもあり、亜幹線向けのライトパシフィック機の元祖でもある稀有な存在ですな

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      その通りですね。でも8900が無かったら急行けん引機も迷走して、標準軌の世界になっていたりして。

  • @kw6644
    @kw6644 Před 2 měsíci +5

    C51 94はATS発電機が装備されATSが義務付けされる時代まで残った貴重なC51ですね。奥羽山形のC51に興味が有ります。

    • @ERO-POWER金玉太郎
      @ERO-POWER金玉太郎 Před 2 měsíci +3

      車内警報装置の発電機だと思います

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      ご視聴いただきありがとうございます。
      蒸機は隠すところがないので、補器類が年々ごちゃごちゃしてきますよね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      蒸気タービンって大きい割に出力大したことない様な。

  • @hassiemozart
    @hassiemozart Před 2 měsíci +7

    200両以上が製造され、割と最近まで残っていたのに、保存機が少ないのが不思議ですね・・・・C51かっこいい!ですね。梅小路、もっと外に出してスポーク動輪を見たいです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +4

      hassiemozartさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      昭和41年吉松の94号機が最後でしたが、あれでは引き取り手が居なかったのではないでしょうか。
      梅小路がターンテーブルの向こうの待機線に来るとなれば夜行バスで駆け付けるのですが。

    • @hassiemozart
      @hassiemozart Před 2 měsíci +3

      本当ですね!じっと庫の中では無く、外に出して欲しいです。梅小路、最近あまり変化がありません。蒸気以外に話題がシフトしていますね・・・・

  • @user-fg7cp4wq6i
    @user-fg7cp4wq6i Před 2 měsíci +6

    昭和41~42年頃、夏休みに銚子(母の実家)からの帰途、多分C57牽引の蒸気列車に乗車しました。今日の動画を拝見していて思い出しました。有難うございました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      くらちゃん、ご視聴頂きありがとうございます。私は潮干狩りに行くときは朝新聞で干潮の時間を見て、領国から蒸機列車に乗って出かけたのを覚えてます。

  • @user-tb6if5cg4j
    @user-tb6if5cg4j Před 2 měsíci +8

    C51が製造された時代は幹線で運用できたが…
    C57.C59と高い性能を持ったカマが出てくると
    地方に回されてしまったが
    軸重がさほど重くないから
    現場では整備しやすいから
    長生きできたし
    あとから出てきたカマの
    基本になった良いカマでした

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      高橋道夫さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
      超特急燕も軽量な客車だったから8時間で行けたので、これ以上になるとC53が必要になったわけですね。C53≒C59ですからこれ以上のキャパシティー向上はC62に頼ることになったと思います。一方で地方幹線はまぁこれでいいやということでC51は長生きして、寿命を全うしてC55、C57に引き継いだという感じでしょうか。

  • @京成3050
    @京成3050 Před 2 měsíci +6

    C51もC57(110号機)も六軒事故で事故を起こしました。悲しい事故ですよね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      KESEIさん、ご視聴頂きありがとうございます。C57-110を出そうと思ったのですが、六軒事故のことを言わなくてはならないので、外しました。

  • @大坂孝幸
    @大坂孝幸 Před 2 měsíci +6

    C51形は、大正時代の旅客列車用蒸気機関車で、スポーク動輪で、C57形は、C55形の改良型旅客列車用蒸気機関車で、ボックス動輪で、動輪直径1750mm。最初の配置がC51形が横浜機関区、C57形が新津機関区だった。
    お召し列車専用牽引機が存在していたのがC51が立ちそうで、C57形は、1号機と名古屋機関区139号機があった。
    京都鉄道博物館にC51239号機が静態保存されている。
    C571号機は動態保存機だが、車軸破損により修理中。来年の復帰予定。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。

    • @大坂孝幸
      @大坂孝幸 Před 2 měsíci +2

      @@Yukkuri-Lab さん、何時も高評価ありがとうございます。

    • @大坂孝幸
      @大坂孝幸 Před 2 měsíci +3

      ​@@tydeentetuota5514最初は、水戸機関車で、戦後すぐに新津機関区に転籍しています。

    • @大坂孝幸
      @大坂孝幸 Před 2 měsíci +1

      ​@tydeentetuota5514最初が水戸機関区で、磐越東線か水郡線で牽引後、新津機関区での運用が長かった。

  • @user-wk2ij1fr9g
    @user-wk2ij1fr9g Před 2 měsíci +5

    C51は、スポーク車輪なので地方の軽いレールにはあっていたのですね。
    紀勢線、関西本線は電化が遅れ、昭和40年代までSLがたくさん走って射ましたね。中在家でもスイッチバックをこなしていました。
    パシフィック、あの亜細亜号のネーミングと同じ、アメリカのパシフィック社に習ったのですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      三共 もえさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      C51の軸重は当時としてはやはり重いと思ってます。橋梁もありますし主要地方幹線限定だったのでしょう。加太峠の活躍は知っていますが、その後C57も其処を通り奈良まで行ったのか?が疑問で調べても出てきません。

    • @user-wk2ij1fr9g
      @user-wk2ij1fr9g Před 2 měsíci +3

      @@Yukkuri-Lab レスありがとうございました。天ナラはD51が多く、しかも気動車大量導入で旅客用はほとんどなく、推測ですがC57は梅小路、わずかですが奈良機関区にC57があったと。紀勢線系列は紀勢東線、鳥羽線にあったと思います。近鉄対策で関西本線は早くからDC化されたから奈良機関区は貨物用のD51、客車用としては急行大和号運用があったかもしれません。ただC57だったと思います。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      なるほど。やはりC57の関西本線はあったようですね。C59-164は梅小路入りするまで奈良にいましたが、亀山に行って参宮線を走らせる計画があったのは聞いてことがあります。

  • @user-rz3tp5kb5z
    @user-rz3tp5kb5z Před 2 měsíci +3

    小学校入学前の所謂
    幼少期の頃に引退し
    明確な記憶に欠ける
    幻の名機関車です!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      さすらいのアルバトロスさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      C51の活躍を知る人はもうとても少ないでしょう。
      そうなると動画ご覧になってもピンと来ないのかな?とおもってC57を組み合わせました。

  • @shanhaitei1978
    @shanhaitei1978 Před 2 měsíci +5

    亀山のC51.C57は,紀勢.参宮のイメージが強いですが,
    確か加太越えで奈良まで,
    草津線で草津まで来ていたはずです…
    (急行「大和」や参宮快速がC51,C57牽引だった記憶が…)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      上海亭1978さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      推論いただきありがとうございます。
      C51はさて置き、C57が加太峠を越えて奈良に行ったのか?を知りたいです。
      次のネタにしたいと思っております。

    • @exp.m.k.2300
      @exp.m.k.2300 Před 2 měsíci +2

      上海亭さん、ゆさん、コメントを見てウズウズしたのでついコメントしてしまいます。
      共に半分正解で半分間違いですね。
      推理したいということなので多くは語りませんが、正解は加茂小学校に保存されているC57 56号機の経歴を調べるとわかります。
      とだけ言っておきたいと思います...

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      お召し列車の記録を見ました。なるほどですね。
      普通列車も奈良行きC57あったのでしょうが、いつ・なぜD51になって行ったのか調べてみようと思います。

  • @芋谷宏
    @芋谷宏 Před 2 měsíci +5

    ライトパシフィックであるC55、C57は台湾へ行きCT250型、CT270として活躍CT275なんかイベント用としてレストアされて活躍している。もしC51が台湾へ行ったらやはり急行列車として活躍しただろうか?個人的にはそうあってほしいし梅小路の用に保存されていて観光の目玉になって欲しい😊

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      芋谷さん、日華事変との時C51は大陸に渡って、かなり長く使われたみたいですから、そのうち中国で発見されるかもしれませんね。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou4545 Před 2 měsíci +5

    C51とC57どっちもカッコイイなぁ〜、あとD51とC51の重連いいね〜

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      0721さんいつもご視聴頂きありがとうございます。
      C51は煙突周りがごちゃごちゃしていていいですね。

    • @bakayarou4545
      @bakayarou4545 Před 2 měsíci +3

      たまらんよね〜、これがC51だよね〜

  • @user-ce8qx5hg1t
    @user-ce8qx5hg1t Před 2 měsíci +3

    ありがとうございました。C51が思っていたより大活躍していたことがわかりました。本務機C57 前補機C51というのがいいですね😂同じ系譜とはいえC57はかなり完了されて性能も向上していたのでしょうね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      プ さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
      C57は四次形で完成しました。これがそれ以上作れないので、C61になったと私は思っています。
      日曜日朝にC50の動画公開しますので是非ご視聴ください。

  • @user_tabh5dnc33
    @user_tabh5dnc33 Před 2 měsíci +5

    ドイツかぶれで改軌派の従輪嫌いが当てつけで作ったらウケちゃった
    島安二郎は色んな意味で新幹線のお爺ちゃん

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      庵道さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      もし18900がこけていたら、標準軌への動きが加速したでしょうか?

    • @user_tabh5dnc33
      @user_tabh5dnc33 Před 2 měsíci +3

      @@Yukkuri-Lab
      こちらこそいつも楽しみに拝見しております
      元も子もないんですが結局は政友会内閣が横槍入れて頓挫でしょうね
      標準軌採用のチャンスは日露戦争あたりが最後だったんではと思います

  • @skt8212
    @skt8212 Před 2 měsíci +3

    C51は廃車が早くて保存機は5番機以外は教材としてカットモデルとして残ったのばかり。梅小路の239番機も教材として新潟の鉄道学園にあったが移転後も放置されていたのを梅小路入りのために長野工場で復元されたが中身はどこまで直しているのかはわからない。始めから静態保存の予定のようだ

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      SKT さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      梅小路のは中そのままで蓋をして化粧直ししただけです。
      だからあまり動かせないんでしょうね。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f Před 2 měsíci +5

    魔理沙さん霊夢さんこんにちは!梅小路に静態保存されているC51型239号機は新潟鉄道学園でカットモデルになって保存されていたのをボイラーの中までは修理されず梅小路に来たそうなので動態に復元は難しそうです。超特急燕は最初沼津まで電気機関車で牽引する予定が機関車交換の時間がもったいないので東京からC51型に牽引させたそうです。すでにC53型があったにも関わらずC51型にしたのはそれだけ信頼があつかったということでしょうか?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +3

      もりわききくおさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
      そうですね。C51は復元するより、新製できればそちらの方が安くつきそうです。
      超特急燕は皇居の傍の東京駅にばい煙はまずいので、練炭を焚いて煙を出さずに出発したと聞いています。戦後C62が常磐線の通勤列車を牽いて新橋まで行っていましたが、早々に無くなったのは蒸機の穢れのせいでしょうか?

  • @大坂孝幸
    @大坂孝幸 Před 2 měsíci +5

    晩年のC51形は、肥薩線吉松機関区だった。
    動輪は、ボックス動輪に取り替えられていた。
    しかし、肥薩線の人吉ー吉松間は、廃線濃厚か?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +2

      大坂さん、もうJR九州は新幹線以外はダメそうですね。

    • @大坂孝幸
      @大坂孝幸 Před 2 měsíci +2

      @@Yukkuri-Lab さん、おそらく。

  • @16yt72
    @16yt72 Před 2 měsíci +2

    4:45
    C57 186のカラー写真…この時は目立つ形状の火の粉止めが付いていたんですね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +1

      16 YTさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      お皿の回転火の粉止めはクルクルパーと言われていて(私の周りだけかもしれませんが)忌み嫌われていました。
      関東地区に多くて、でも仕方ないので撮影してましたが、今となっては逆に良いなぁと思えるようになりました。

  • @user-ei4dz5tq5n
    @user-ei4dz5tq5n Před 2 měsíci +3

    動輪はC55のスポーク動輪が一番美しいと思う。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +1

      快舟さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      C54は19本スポークで一番綺麗で、C51にも転用されたのがあるそうですが、どれかわかりません。

    • @user-rz3tp5kb5z
      @user-rz3tp5kb5z Před 2 měsíci +2

      あの水掻き付きの
      スポーク動輪
      動く芸術品的な
      美しさでした!

  • @user-xm7kn2vw1n
    @user-xm7kn2vw1n Před 2 měsíci +3

    C57形蒸気機関車、早く「きかんしゃトーマス」に登場してほしいです……………。
    6月22日(土曜日)〜6月23日(日曜日)の2日間、誕生日の旅行として大阪へ行って来ました。
    6月22日(土曜日)は、広島駅を17時43分発の新幹線(のぞみ50号・N700S)に乗って宿泊先の、ホテル京阪ユニバーサル・タワーへ行きました。
    6月23日(日曜日)は、誕生日🎂なので初ユニバーサルスタジオジャパンへ行きました。
    1番最初に、ハリドリ(前向き)に乗りました。
    1番最後に、1番乗りたかったザ・フライング・ダイナソーに乗りました。
    大好きなキティちゃんに会える、「リボンコレクション」には5回も行きました。
    キティちゃんの動画も、撮影しました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci +1

      機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      C57の名前は何でしょう?ひろ子かな?

    • @user-xm7kn2vw1n
      @user-xm7kn2vw1n Před 2 měsíci +2

      @@Yukkuri-Lab
      C57形蒸気機関車の名前は、ヒメだといいなぁ。

  • @user-mb2dl9tg8d
    @user-mb2dl9tg8d Před 2 měsíci +4

    今回のC51、C57はスマートな旅客機で私的にはとっつきにくい機関車たちです。ゴメンナサイ
    C51は2コブに元空気溜冷却管のウニョウニョウニョしているのは好きなのですが、暖め器が前部標識と煙突の間ではなく、煙突の後ろにあるのと、そこからの配管が好きになれないです。ゴメンナサイ
    ところで魔理沙、端梁にポコポコ小さな穴が不規則にあるのは何か意味があるのでしょうか?
    まさか.... 戦争の........

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Před 2 měsíci

      いあさん、ご視聴頂きありがとうございます。
      ゴメンナサイは全然不要ですよ。私も嫌いな機関車や苦手なのは多いです。
      >端梁にポコポコ小さな穴が不規則にある
      とはどの機関車のことでしょうか?

    • @user-mb2dl9tg8d
      @user-mb2dl9tg8d Před 2 měsíci +1

      ​@@Yukkuri-Lab
      前半に出てくるC51239号です。連結器脇に穴があります。