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Nobuko Shibuya
Registrace 25. 07. 2013
As a scriptor for independent productions, he was trained by directors such as Heinosuke Gosho, Satsuo Yamamoto, Kaneto Shindo and Tadashi Imai. He was particularly influenced by Imai in his directional techniques.
His 1963 film Challenge (about the Nippo-Kaizuka volleyball team, known as the 'Witches of the Orient', who train for the Tokyo Olympics under director Hirofumi Omatsu) was entered at the 1964 Cannes Film Festival. The film won the first Cannes Grand Prix in the short film category and received a trophy at Cannes.
Since he was a scriptor, he has always been a freelance filmmaker, an attitude that has not changed since he became a director.
Since then, he has worked mainly on TV (NHK, commercial) documentaries and independent films.
His approach to filmmaking is that "the subject is always 'human beings'". Passed away in 2016.
His 1963 film Challenge (about the Nippo-Kaizuka volleyball team, known as the 'Witches of the Orient', who train for the Tokyo Olympics under director Hirofumi Omatsu) was entered at the 1964 Cannes Film Festival. The film won the first Cannes Grand Prix in the short film category and received a trophy at Cannes.
Since he was a scriptor, he has always been a freelance filmmaker, an attitude that has not changed since he became a director.
Since then, he has worked mainly on TV (NHK, commercial) documentaries and independent films.
His approach to filmmaking is that "the subject is always 'human beings'". Passed away in 2016.
Video
恩は石に刻め、恨みは水に流せ
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「恩は石に刻め、恨みは水に流せ」 2012年 自主映画 45分 ベトナム戦争の戦績を北から南までを訪ねる旅。私自身が小型カメラをまわし、完成した。 地下壕の4キロも、真っ暗のなか、撮りつづけた。同行者の驚きの声が収録されている。 枯れ葉剤の影響は三代に及ぶということ!あらためて、アメリカが広島、長に原爆を投下した非人道的行為は、黄色人種の蔑視であることを再確認する。 ベトナム戦争で、地下で抵抗運動で戦った「老兵士」の言葉「恩は石に刻め、恨みは水に流せ」に感動しタイトルとした。 企画・製作・演出・撮影・編集 渋谷昶子
おっぱい謝謝
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「おっぱい謝謝」 2012年 自主映画 45分 第二次大戦の終戦間近に政府の政策で、旧満州とロシアに近い国境に送られた満蒙開拓団の人たちは、戦後の危険な逃避行のなか、生まれてまもない乳飲み子の安全を守りたい一心で、中国の農家に幼子をあずけた。中国の若い母親は、左は我が子、右は日本の孤児におっぱいを飲ませ、育てた。年老いた養父母を訪ねる感謝の旅を記録する。養父母の慈愛に満ちた恩顔が美しく、人間愛の神髄にふれた。 企画・製作・演出 渋谷昶子 撮影 堀田泰寛
鏡のない家に光りあふれー斉藤百合の生涯ー 文部省選定
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「鏡のない家に光あふれ」ー斉藤百合の生涯ー 1996年 完成 16ミリ カラーフイルム 59分 斉藤百合は3歳のとき、はしかにかかったのが原因で全盲となる。しかし天性の明るさと努力で、向学心に燃え、東京女子大第一期生となる。また、結婚し四人の子を育てた。盲目の女性でも、自立し、地位向上のためにと、盲女子の教育に生涯を尽くした。女優斉藤美和は娘である。彼女が母百合を演じた。 1996年の短編教育映画祭に出品、優秀作品賞、文部省選定 企画・製作 「斉藤百合の生涯」映画製作委員会 代表者 秋山ちえ子 脚本・演出・編集 渋谷昶子 撮影 重枝昭典 録音 岡本立洋 照明 石川善昭 音楽 原 正美 証言者 百合ゆかりの人たち 盲目の女性たち
挑戦ー1964年カンヌ映画祭短編部門グランプリ作品
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「挑戦」 1963年 完成 35ミリ コダックカラーフイルム 30分 「日紡貝塚女子バレーチーム」は、1964年の東京オリンピックの金メダル候補として、全国民から 期待されていた。金メダルを目指し、厳しい監督の指導のもとで連日死闘の練習をつづける選手たちを記録したものである。なお、この作品は1964年カンヌ映画祭短編部門に出品されグランプリをする受賞する。映画祭に出席していた監督自身がトロフイを受ける光栄によくした。 ちなみに、長編部門では、市川崑監督、石原裕次郎主演の「太平洋ひとりぼっち」が批評家大賞を受賞した。 25歳から、監督業をやり始めたが、30歳までに社会的に監督として認知されなければ、 監督を辞めて、転進を計ろうと考えていた矢先の受賞で、今日まで50年の永きに亘って、監督業をつづけることになった。 企画・製作 大阪電通 電通映画社 脚本・監督・編集 渋谷昶子...
選手の皆様に心から畏敬の念、頭が下がります。
妻の勤めていた会社の社長(男)は学生時代甲南大学バレー部で東洋の魔女の練習相手になっていたと妻から聞きました。
虐待ですね、今では。
ここで活躍している選手は殆どが戦前・中生まれだよね。精神力は現代の選手よりも上だろうな。
汚染、破壊される前の日本の国土が育てた人々 今の日本人とは違う健やかさと強さ
監督ペースが早すぎる!
こういう 練習してました。 懐かしいです。コーチにボールを 渡すコツ ボール拾いも どこに ボールが飛んでくるか 読んで動く ボール拾いや ボールを渡すタイミングの良い人は、 プレーも、上手いです。
人生は何事もはじめてであるとして、ここまで自分自身を追いつめ価値ある栄光を成し遂げたとしたら、その原動力は何だったのか、と考えさせられます。 天井知らずの向上心あるのみの時代・・・
とうよう の まじょ。 てらお あきら の おやじ。 うの じゅうきち。
日本を背負って、世界に日本有り! 日本人が自信と誇りを取り戻して行く 闘いと思ってます。大変な中、厳しい 練習と体力の限界まで頑張って頂き 感謝ですねね。
回転レシーブかっこいい
当時は終戦からまだ20年も経っておらず今より娯楽が少ない&戦中終戦直後に比べたら天国に感じたからこんな特訓の毎日が出来たんだろうな。今見ると仕事の後で鬼のような形相のメンバーと夜中の12時迄特訓とか生き地獄だわ。
60年前の日本の熱量が伝わってくる。 そういや、通ってた中高のバレー部の顧問のお母さんが東洋の魔女だったな。
何だかなぁ…コレあっての今なのは善くも悪くwもあるんだよな… 平和も戦の後に在るわけで…何事も知るというコトこそ大事だわ…
日本の高度成長時代の精神がいかな成るものだったのかが垣間見えます
一時はスポ魂なんて無駄の極致なんて思っていた。いまこの時代その魂を垣間見て、美しいとすら感じる。
昭和の時代、皆努力と根性が正しく美しいと信じることが出来た。令和の今でも信じたいけど…
この人達の頑張りや監督の指導法を否定はしないけど、東京五輪のヒーローだった円谷の悲劇を思えば二度とこの時代に戻るべきでないとも思う。
そんなことはない! 今の弱々しい世界を打破するにはこの時代に学ぶことが多いだろう❤
わたしたちは、この映画を観て心を打たれる、いや決してそうではない。集団就職した彼女たち、それを要求した紀州の土地柄、あらゆる相貌がわたしたちを試しているのでありありそうした時各々にある種の強さを感じ取るのである。「強さ」は、問いの内容や対象を超えるなにかであるに違いない。
吐き気がするのは俺だけか
根性論やスパルタ指導に目が行きがちだが、その当時としては先進的な身体作りや、ステップワークも取り入れて合理的に稽古しているのが見て取れる。 女性でも、ここまで研ぎ澄まされるのは凄い。何しろ顔つきが違う。経済的にも、バレーでも最も日本人が活力に溢れた時代でした。
そうですね。レペティションやインターバルなど、後に学問的に体系づけられる方法をこの時すでに取り入れていたんですね。大松監督の慧眼たるやすごいものがありますね。 私はちょうど幼稚園ぐらいの時に東京オリンピックで「東洋の魔女」をみていた記憶があります。 ただ私はこの環境で耐えることができないと思います。やはり「覚悟」が違う人はすごいですね。
解説(ナレーター)は宇野重吉さん、寺尾聡のお父様ですね。有名な俳優です。
「東洋の魔女」で日本は変わりました。当時小4の自分にもわかった。
私は東京五輪の後に生まれた世代で野球経験者ですが、やはりこういう根性論的な練習は当時もまかり通っていましたし、これぞ「練習」だと思っていました。でも今見返してみると...凄い練習ではあるものの、これは心身を鍛える為の練習であり、決してこれがバレーボールが上手くなる為の練習ではないのがよく分かる。倒れてる選手にボールをぶつけても上手くはならない。こういう非合理的な練習を経て金メダルを取り、こういう練習が正しいと思い込んでしまったことが、日本がメダルを取れなくなる原因にも繋がっていったのではないかな...。
それは一面しか見ていないと思いますよ。最後までボールに向かい続ける根性が身につくだけでなく、心肺機能等を鍛える練習になっていますよ。決して非合理的な練習ではありませんよ。
@@user-we1co7dk3e 私らも100本ノックとかやらされた世代ですけど、あれで上手くなってんのかな?と、当時から懐疑的でした。だってあんなの実践では無い状況ですからねぇ。もしも本当に合理的ならば、この手の練習が世界中どこのトップチームでも当たり前になっているはずでは?
は???頓珍漢な野郎よ❤
良かった。
17:17~ 吉田沙保里いるじゃん
WoW!!!!!
バスケやってましたが、バレーの練習が、ここまで重心を低くして、 足腰を鍛える練習に時間を使っているなんて知りませんでした。
伝説の回転レシーブの猛練習 記録あったんですね 素晴らしい🎉
音楽はストラヴィンスキーの「春の祭典」に酷似しているね、よくカンヌに出せたものだ
この映画は10月開催の東京オリンピックで初金メダルをとった前年に撮影され64年5月カンヌに出品された。金メダルをとった後ではない。そこが重要な点です。
日本女子バレーボール最強の時代です これからも、どんな世代でも これを越えられることは100年ないでしょう オリンピック金メダルは永遠にとれないかもしれません
磯部さん、大変でしたね。怖いお姉さん方で(笑) 昔、本で読んだことによると、夜寝言で「そんな言い方せんでもいいやないですか」 とか言ってたらしいです(笑)
こんなしごきがあたり前、自分もできると勘違いした部活指導者がどれほど 日本のスポーツ文化を遅らせ選手をダメにしたか知れない。指導者になるに あたっては、コーチングやポーツ心理学などを学んでからにしてもらいたい。 国によっては体育哲学という学問分野もあるそうです。
これはしごきではありませんよ。身体的に劣る日本人をどうやって身体的に勝る欧米人に打ち勝つかを考えた練習ですよ。実際日本に敗れた欧米諸国が取り入れたのが、日本式の練習だったというのを聞いたことがあります(ミュンヘン以降)。
彼女らは昼間は普通に仕事をして、夜中の2時から3時まで練習していました。これは正常といえますか。軍国主義の延長でしかない。当時は結果オーライで礼賛されても今では通用しません。今回の五輪で日本人のメダル数が多いのは、選手たち自身が練習方法や競技の情報をネット上で容易に手にできるようになり、コーチの質が高くなっているからだといわれています。なでしこや堀込の逆転劇は操られてできるものではない。スポーツマンらしくのびのびとして清々しい姿でした。それがわからない指導者が今だにゴロゴロいて、つい最近も選手に対する暴力でニュースになっていますよ。
@@hhhh7718 お言葉を返すようですが、それでは当時にどのような練習をしたら、体格的に劣る日本チームがソ連に勝てたと思いますか?あなたが言ってるように、現在は体育の授業でもトレーニングの知識やその他当時では考えられないやり方を習っていますよ。それに操られているとおっしゃいますが、東洋の魔女が操られているとは思いません。彼女らは使命感を持って練習に取り組んでいたと思います。ま、あなたでは(私も含めて)、東洋の魔女の人たちのような練習には耐えられないですけどね。堀米やなでしこのメンバーのみならず、世界で活躍する選手は、練習量云々ではなく個人の資質に寄与するところ大です。でなければ、環境を整えれば世界で勝負できる選手ばかりになりますよね?それに当時のソ連は、一日中練習をしていたはずですよ。彼女らはアマチュアではなくプロでしたからね。
@@user-we1co7dk3e どうぞ「【五輪代表のコーチ変革:中竹竜二】始まりは井上康生」というタイトルの動画をご覧になって下さい。一緒に学びましょう
「回転レシーブ」って、日本人そのもの様なプレーだと思います…😔
此の様な立派な映画の存在を知りませんでした…😔ユーチューブにアップして頂き、本当にありがとうございます❗😔
貴重なものを見させていただきました、ありがとうございます。
その年小4の私ですら祖国を守り、スポーツで昂めるという基礎教育が両親父母からこ生活の中で叩き込まれてましたから…。戦前、戦中を駆け抜けた肉親を持てば当然でした。
あの当時でドリンクサーバーがあって練習中も水飲めたとか当時なりの合理性があったのが、かなり曲がって伝わってしまった。
よく見ろよ、先人がここまでやったから世界と対等に 闘える国になったんだよ。
時間がたってしまいましたが澁谷監督は2016年にご逝去されました。コメントを返すことはもうできませんが皆様のご視聴・コメントに感謝申し上げます。
Кто знает, есть перевод этого фильма? Очень хочу посмотреть, но не знаю японский(
大松監督のお墓は鎌倉東慶寺にあります。バレーボールの石が今も輝いています。
こんなパワハラを映画に出来るとは 恐ろしい時代ですね((((;゜Д゜)))
今が正しいとも限らない
@@user-ii1kl9zb9h本当そう‼️
しり
大松監督さんのお墓は北鎌倉駅前お寺に眠いました。バレーボールのお墓が素晴らしいです。ありがとうございます。
なんか最近こういういじめのような映像見るとイライラしてきてしまう
あなたのような人間が増えたのが日本がダメになった原因です。
こんなに素敵で正しく一生懸命ご自分の人生を走りぬかれた斎藤百合さん、こんな素敵な方がおられた事、知りませんでした。切ないような愛おしいような思いに胸がつまり涙が出ました。 賢いお子さん達に恵まれ、良かったな〜と思わされました。しかし、北朝鮮に行った娘さんの事など、どんなに心を痛めておられたでしょう。 ですが主に在って充実した人生。素晴らしいです。
ニチボウ貝塚の選手だね
当時の厳しさがヒシヒシと伝わってくる。さすが鬼の大松やな。