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急行宗谷
Registrace 8. 05. 2021
急行すずらん5号 函館発車後放送
録音:1980年(昭和55年)9月12日・13日。
以前に札幌発函館行の上り「すずらん6号」を公開いたしましたが、今回はその翌日の下り「すずらん5号」です。しかも前回と同じ車掌さんです。
レコーダーの動作音を拾ってしまった失敗のため公開を見送っておりましたが、今はなき旧型客車による夜行急行ということでご勘弁願います。
前回の公開から間隔が開いてしまいましたが、特に夜行列車は画面の作りようがなく、相変わらず単調な画面でこれまたすみません。
00:00 函館駅改札・ホーム
01:34 函館駅発車前 指定席の車内改札
01:58 函館駅発車前放送
04:22 函館駅発車後
07:30 札幌駅到着前
以前に札幌発函館行の上り「すずらん6号」を公開いたしましたが、今回はその翌日の下り「すずらん5号」です。しかも前回と同じ車掌さんです。
レコーダーの動作音を拾ってしまった失敗のため公開を見送っておりましたが、今はなき旧型客車による夜行急行ということでご勘弁願います。
前回の公開から間隔が開いてしまいましたが、特に夜行列車は画面の作りようがなく、相変わらず単調な画面でこれまたすみません。
00:00 函館駅改札・ホーム
01:34 函館駅発車前 指定席の車内改札
01:58 函館駅発車前放送
04:22 函館駅発車後
07:30 札幌駅到着前
zhlédnutí: 1 622
Video
急行らいでん1号 札幌発車後放送/他
zhlédnutí 7KPřed měsícem
録音:1978年(昭和53年)3月7日。 時間帯や区間によってはとても混雑する様子や、鉄道を廃止した後のバスドライバー不足問題など、最近は何かと話題が多い山線ですが、かつては「らいでん」や「北海」などの列車も活躍していました。 「らいでん1号」に乗車したのは札幌~小樽間だけで録音も短いので、その前後の札幌駅や小樽駅での放送を加えて一編にいたしました。 入試の日に急行「ちとせ」を島松駅に臨時停車させるなど、千歳線がまだ非電化で普通列車が現在よりもはるかに少ない時代でした。 00:00 札幌駅 オホーツク発車 01:49 札幌駅 狩勝1号発車 03:04 札幌駅構内放送 03:50 らいでん1号 06:43 小樽駅 北海発車
札幌→上野(急行ニセコ1号-松前丸-急行十和田3号)
zhlédnutí 11KPřed 2 měsíci
録音:1977年(昭和52年)4月25・26日。 上りニセコ1号、過去には小樽から長万部までC62の重連が牽引し、明るい時間帯ということもあり、撮影に訪れた方も多いことと思います。 松前丸は再度のUPですが前回は1978年(昭和53年)3月の録音で、今回はその約1年前です。特に「何丸」と選んで乗船していたわけではありませんでしたので、松前丸に縁がありました。 「この連絡船は松前丸です」という案内の後に「本日乗務しております船長は〇〇、わたくしは事務長の〇〇・・・どうぞよろしくお願いいたします。」という挨拶がありますが、今回も個人名に配慮してカットさせて頂きました。ご了承願います。 十和田3号は季節列車ですが、ゴールデンウィークに入る前の平日ということもあり自由席も空いていました。 この頃はまだ14系の急行は少なく、前向き2人掛け座席というだけで周遊券で特急に乗れたような気分がしたもの...
苫小牧→岩見沢(急行ちとせ3号・札幌駅・急行大雪3号)
zhlédnutí 15KPřed 3 měsíci
録音:1980年(昭和55年)9月15日。 札幌から網走経由で釧路まで足を延ばす「大雪」も是非録音したいと思い、岩見沢まで1区間だけ乗車したのですが、簡略な案内しかありませんでした。そのため公開を見送っておりましたが、苫小牧からの行程と札幌駅の放送を入れて、なんとか1本にしてみました。 札幌駅では魅力ある列車の発着が続くいい時間帯でもあり、「ニセコ」の到着や、「いしかり」の発車など、以前に公開した1978年(昭和53年)3月版と重複するような内容になってしまいました。 「いしかり」は同じ10時発車ですが、前回は「2号」、今回は下りが奇数号になり「3号」になっています。この録音の約半年前には781系が登場していました。 月曜日ですが、祝日(敬老の日)で連休のため、駅もどの列車も賑わっていました。増結もあったようですが、詳細な記録がなくてすみません。 今回もこまめにチャプターを入れました...
急行ニセコ1号 函館発車後放送
zhlédnutí 6KPřed 4 měsíci
録音:1980年(昭和55年)9月23日・20日 00:00 函館―森 9月23日 04:26 小樽―札幌 9月20日 青函連絡船の夜行便からは「おおぞら」「北海」「ニセコ」が接続しており、早朝の函館駅で乗り換えをされた方も多いことと思います。 客車と気動車で2往復の「ニセコ」でしたが、翌月の改正で気動車の「ニセコ」1往復は廃止になってしまいました。 廃止を目前に控えた「ニセコ1号」でしたが、通しで乗ることができず、函館~森、小樽~札幌と両端のみで、別な日の乗車になりました。
富内線 他(日高町―登別)
zhlédnutí 3,7KPřed 4 měsíci
録音:1977年(昭和52年)11月2日。 低音質な音源にもかかわらず暖かいコメントを頂戴し、励みになっております。有難うございます。 新作を作る際には、元音源から摘出する選択の幅が広がり、以前なら「ボツ」扱いにしていた音声も公開に踏み切れるようになりました。 今回は富内線ですが、帯広からバスで日高町駅へ行っため片道のみの乗車です。周遊券で乗れましたので、このコース、あるいは逆コースで乗車された方も多いと思います。 展望台では休憩時間がありましたが、霧のためほとんど何も見えませんでした。 日高町からの乗車でしたが、鵡川側から乗った方が、山に分け入っていく感じがして良かったろうなと思います。再度訪れたいと思っていましたが実現しませんでした。 00:00 日高町―鵡川 富内線 02:00 鵡川―苫小牧 急行えりも2号 04:11 苫小牧―登別 普通列車
普通滝川行 新得到着前放送
zhlédnutí 3,8KPřed 5 měsíci
録音:1977年(昭和52年)4月15日。 根室本線の一部区間が廃止になってしまい、何か思い出になるようなものを…と探してこの音を発掘いたしました。 毎度のことながら公開するには苦しい音質です。 帯広発車後はテープを回し続けたのですが放送はありませんでした。新得到着前の放送がなんとか録れたのが救いでした。 00:00 帯広発車 01:49 御影 02:02 発車合図(羽帯駅) 02:25 十勝清水 03:07 新得到着
根室→釧路 客車普通列車
zhlédnutí 14KPřed 5 měsíci
録音:1977年(昭和52年)4月24日。 回を重ねるごとに切符類やスタンプなど、今まで使った収集品の使い回しが多くなっており、画面作りが苦しいところです。 毎回ご覧の方は「また、これか・・・」という感じかと思います。 多少の変化をつけたくて、JR化後、平成時代、鉄道関連以外・・・なども入れてみましたが、イメージを損ないましたらすみません。 根室本線の一部区間廃止を惜しみ、発車前の案内しかありませんが、富良野分割の「狩勝」も入れてみました。 この頃は根室本線も「狩勝」も元気でした。 00:00 根室発車 03:18 厚床到着 03:43 東釧路到着 04:03 釧路到着 05:37 狩勝2号 釧路発車まで
美幸線 他
zhlédnutí 6KPřed 6 měsíci
録音:1980年(昭和55年)9月17日。 いきなり上り急行「天北」の小頓別到着から始まりますが、以前に公開した興浜北線の続きで、「天北」には浜頓別から乗車しました。 多くの皆様から寄せられたコメントを拝見し、どの線区にも歴史あり、ドラマあり、そして何より人々の思い出があることを改めて思いました。 「今回もローカル線を・・・」との思いから、美幸線を取り上げましたが、美幸線の音声はほんの僅かしかなく、その前後の行程を辿って一本に編集いたしました。 尚、音威子府と美深の間で上下「天北」の交換がありますが、どこの駅に停車したのか記録がなく不明です。ご存知の方はご教示をお願いいたします。 00:00 小頓別→美深 急行天北 01:53 美深→仁宇布→美深 美幸線 03:45 美深→名寄 普通列車 05:11 名寄→旭川 急行なよろ4号
相生線
zhlédnutí 6KPřed 7 měsíci
録音:1977年(昭和52年)4月18日。 毎度のことですが、今回もまた質的に苦しい音声です。 優等列車が駆け抜けたり、蒸気機関車の撮影地で賑わった華やかな線区以外でも、人それぞれ、様々な思い出が記憶の中に残っていることと思います。 「次は終点北見相生です」という放送は録りそこなってしまいました。すみません。車中泊が続き、動作が緩慢になっていたものと思います。 00:00 美幌 01:24 美幌発車後 02:44 北見相生発車後 04:37 美幌到着前 05:42 北見到着前
【特別編】急行 のりくら9号~定期観光バス おくのと3号
zhlédnutí 4,3KPřed 7 měsíci
録音:1981年(昭和56年)10月2日・3日。 この度の地震の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 何の足しにもなりませんが、古い音声を発掘いたしましたので公開させて頂きます。 この録音をした時は駆け足のような一人旅でしたが、平成2年に両親を連れて再訪し、和倉温泉、輪島、金沢と宿泊いたしました。 数少ない親孝行ができた思い出の地でもあり、震災に心が痛みます。 今はまだ避難や救援が続き、混乱のさ中と報道に触れるだけですが、やがてインフラも復旧し、少しづつ日常生活が戻ることと思います。 復興し、観光客を誘致できるようになった際には、多くの方が訪れるよう願う次第です。 00:00 のりくら9号 名古屋発車前 00:33 名古屋発車後 04:03 金沢到着前 05:42 穴水到着前 07:00 観光バスおくのと3号 09:04 普通金沢行 輪島発車後 10:16 穴水到着前
急行 すずらん3号 せたな 函館発車後放送
zhlédnutí 8KPřed 7 měsíci
録音:1980年(昭和55年)9月12日。 乗車したのは函館~長万部ですが、東室蘭からはグリーン車が2両という道内の急行では珍しい編成だったのですね。 上りは『すずらん』と『ちとせ』の併結はありませんでした。 帰宅に都合が良い時間のためか混んでおり、乗客が音楽をかけていて、お聞き苦しいかと思い公開を見送っていました。 二つの愛称があって、途中で分割する列車の放送を好んで録音していましたが、手持ちの音源の中では、これでほぼ出尽くした感じです。 分割がない列車、断片的な録音、すでに取り上げた列車の別な日の録音など、まだ公開していない音源の『量』だけはあるのですが『質』が伴わないため、選定に時間がかかっております。 時には公開の間隔が空いた上に、期待外れのこともあろうかと思いますが、本年もどうかよろしくお願いいたします。 00:00 函館発車前 03:13 函館発車後 06:44 国縫到着...
急行 大雪7号 紋別 はぼろ 札幌発車後放送
zhlédnutí 8KPřed 8 měsíci
録音:1980年(昭和55年)9月20日。 以前に公開いたしました「大雪・紋別・はぼろ」と同じ列車ですので、公開を見送っておりました。 CZcamsを始めた時は、多くの方にご視聴頂けるとは予想もしていなかったため、かなり適当な画面で、今となっては作り直したい部分が多々あります。 同じ音源を使い、画面だけを作り直して修正版として再公開するよりも、違う年に録音した別な音源があるので新たに作ってみました。 以前のは1978年(昭和53年)3月の録音で、今回のはそれから約2年半後の録音になります。 大きな違いとしては、下りが奇数号になって大雪7号、増結車があって全13両の豪華編成です.。 00:00 ホーム乗車口案内 01:57 札幌発車前 04:50 札幌発車後 10:34 岩見沢到着前
札幌―上野【前編】急行いぶり・急行宗谷
zhlédnutí 10KPřed 9 měsíci
録音:1976年(昭和51年)6月16日。 音質が悪く「この音源は使えない」と、ろくに再生もしていませんでしたが、改めて聞き直したら、捨てがたい部分もありました。 まあまあの部分だけを摘出して断片集にするよりも、いっそ長いだけが取り柄の長編を遊び心で作ってみたくなりました。 初めの予定では宗谷と八甲田の乗り継ぎを一編にするつもりだったのですが、40分を越えてしまったため二編に分割いたしました。 宗谷は倶知安から乗車しましたが、青函連絡船の案内が繰り返しあります。 一部をカットして、もっと短くしようとも思いましたが、現代のような自動放送ではなく、車掌さんの声による熱心な案内が捨てがたく、カットせずに入れることにいたしました。 こまめにチャプターが入っておりますので、繰り返しの案内や、長旅が退屈でしたら、飛ばしてご視聴頂ければと思います。 00:00 札幌 02:26 千歳 02:49 ...
札幌―上野【後編】急行八甲田
zhlédnutí 8KPřed 9 měsíci
録音:1976年(昭和51年)6月17日。 旧型客車時代の八甲田です。 仙台到着前のおはよう放送は寝ていて、マイクを構えていなかったため録ることができませんでした。 初めてレコーダー持参の旅行でもあり、思いのほかテープを消耗したため残量が心細くなり、オルゴールが鳴る前からテープを回すことができず、没頭が欠けた録音ばかりになってしまいました。 大宮到着前の放送を録ると、上野到着前の放送が録れなくなりそうなので断念いたしました。この時代にICレコーダーがあったらもっと残せたのに」・・・と思います。 上野到着時の放送終了後、オルゴールが鳴り終えないうちにテープが終了してしまうという大失敗がありましたが、聴きやすいように加工編集いたしました。不自然に感じられましたらご勘弁を。 前編同様、こまめにチャプターが入っておりますので、お好みに合わせて飛ばしてご視聴頂ければと思います。 00:00 青...
懐かしい。 そして隣りの列車が気になる。 滝川行きか。 青春18のお客さんに混んでいただろう。 全てが夢ですね? この頃は 時刻表20000kの乗り潰しが始まった頃でしょうか? ローカル線は そういう人しか乗っておらず 各駅で入場券を買ったり車掌さんから補充券を買っていた。 国鉄最後の楽しかった時代
あぁ、私だったら43列車の方に乗るかな。いずれにしても、まだ夜行バスが存在しておらず、夜行列車がまだまだ元気だったいい時代でしたね...
新札幌は当然ながら通過ですが、今では全列車が停車します。地下鉄できる以前は駅前はなにもなかったのでしょうか?
編成を見ますと、本当に国鉄の標準的な夜行急行列車ですねぇ。ハザ・ロザ・Aネ・Bネ・荷物車。でもまたそれが魅力的ですよねぇ。こういう列車、一度は乗ってみたかったですね。
牽引する機関車は D D51でしょうか?
やはり連絡船からの乗り継ぎ急行は、はるばる北海道に上陸した感がありました。 青函トンネル以降も急行はまなすがありましたが、車両も近代化されていたので、やはり旧客のほうが疲れた反面、今となっては味わいのある旅に思えました。 遠い記憶を再現していただき感謝します。
43レも新函館北斗は通らなかったんだ
札沼線の時刻表をみて、札幌近辺の列車の本数が今より全然少なくてびっくりですね。
普通?のローカル局ですね? しかも新十津川が終点
1980年3月にB寝台を利用した。上段だったんだけど空調の張り出しが大きくて、凄い圧迫感だったのを覚えている。
いつも懐かしく聞かせていただいております。古い記録ですが、昭和48年3月4日乗車しました。旧型客車の夜行列車、独特の味わいと雰囲気がありました。札幌から先オホーツクに乗り継ぎたどり着いた先は湧網線常呂駅でした。流氷が接岸したばかりのオホーツク海とキハ22単行を堪能しました。もちろん9600が牽く貨物列車もです。
何時も貴重な音源アップして頂き、ありがとうございます😊 やはり急行時代のすずらんの方が活気に満ち溢れていますね、それと比べて現在の特急すずらんは…お察しを…😅
懐かしいですね。いつもありがとうございます
全てが懐かしすぎる。朝早く起きて「からまつ」や「オホーツク」を写真に撮りに行って、その「オホーツク」の折り返しで札幌着の運転手さんに「まだ居たんだね~」って言われた。入れ替え作業でDD13の運転席に乗せてもらった。胆振線で札幌~札幌の一周したこともあった。全てが懐かしい。当時は寛大で良い時代だった。
2:14のくしゃみ・・・・最高です!ww
18切符と北海道フリー切符を使い カネが無かった(もう1217レ無かった?)ので41レばっかりだったw
投稿お待ちしておりました。 急行はまなすに近いダイヤなんですね、夜行最高です
懐かしい!動画ありがとうございます 私は学生時代ワイド周遊券使い 1978年頃博多から普通列車乗り換え乗り換えで大阪まで、大阪から急行きたぐにで青森、青函連絡船で函館まで行き、そこからこのすずらん5号に乗りました、札幌ついてから更に乗り換えで羽幌まで行き翌日天売島、焼尻島へ向かいました。連続乗車はかなり辛く青函連絡船のコインシャワー使っただけでした。今では懐かしい思い出です。すずらんも確か旧型でした。
時刻表の 渡島大野駅って、 今の新函館北斗駅だよね😅 この当時には想像もつかなかった変わり様😮
???「行きと全く同じ車掌さんとは、奇遇だなおいw」
急行えりも晩年は二両でした。キハ22が使われるときもありました。多客の時期は4両の豪華編成もありましたよ。様似に住んでいた頃が思い出されます。ありがとうございます。
様似にお住まいだった方にご視聴頂けて嬉しいです。 日高本線も景色がいい路線で好きでしたので縮小は残念です。
発車ベル懐かしいですね!
函館駅でもこのベルを聞くことができましたが、両駅とも独特の雰囲気を醸し出していましたね。
84年生まれ この時代を知りませんが、 なんとなく放送から伝わる活気というのでしょうか。何か熱感を感じます。 たきがわ・あさひがわの濁音も新鮮です。
この当時をご存じない方にもご視聴頂き、遠い昔の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
毎日聞いてます😂 この声で教科書読んで欲しい てか、どうやって音声だったんです?
ご視聴有難うございます。言われてみるとラジオの教育放送のような音声・・・という気もしますね。
なに! 札幌行き普通列車! 何時に着くんだろ?
当時の発車ベル好き過ぎる。豊平川鉄橋の所でも◯◯列車接近と放送していました。
多くの方から頂戴したコメントを拝見していると、この発車ベルが好きな方も多いようですね。
懐かしくて涙が出てきそう
懐かしさを感じて頂けましたら何よりです。
富良野通過が凄い。 からまつも走っている。 丁度 時刻表二万キロの時代。 ローカル線は 乗り潰しのお客さんさんしかいなかった? 駅に止まるたびに硬券入場券を買ったいた。
この頃の「おおぞら」は本州連絡の役目も担っており、飛行機が主流になりつつあった時代に鉄道も頑張っていました。北海道の鉄道もまだ元気でした。
5Dおおぞら5号 183系を入れ始めた時? 新型の時は食堂車無しの表示つけてたから…
多層建て列車は線路容量と需要予測に基づき設定されるもの たまに 何でわかりにくいんだとか言うコメントを見つけると 残念で仕方ない
ほんとその通りですね。決してわかりにくいものではないと思うのですが・・・
高校を卒業して進学の為特急おおぞらを使って上京したのが79年。まさしくこの頃でした。 まだ旅客機という選択肢は少ない時代でした。 ただ釧路〜東京間がほぼ24時間かかりました。移動の度に1日潰れるので短期の休みの時は帰らなくなりましたね。
釧路〜東京なら今では飛行機一択という感じですが、当時はまだ鉄道の方が若干安い時代でしたね。 時間をかけて釧路へ帰る時は楽しみだったことと思います。
昭和43年秋白紙ダイヤ改正し名古屋岐阜下呂高山富山金沢まで運転した初代特急ひだが運転した
懐かしい 懐かしすぎる。 急行どころか 走る線路もなくなった。
昔はこんなに元気だったのに、鉄道の縮小はさびしいですね。
言わない、言わない いやいや駅名言ってますよ😙
「6号車は食堂車」と「最初に止まりますのは池田」で泣きました。
池田を通過し、釧路~帯広間ノンストップの「おおぞら」もあったのですが、それも昔のこと。 今の特急は停車駅が増えましたね。
仙台で寝台を切り離していた頃ですね。 僕が八甲田を撮影していた頃は12系になっていて青森0:02発の頃でした。黒磯ー上野が、EF58でそれを撮影していました。 青森を0時に出た列車だなと思いながら
かつては上野~青森間に寝台車が連結されていましたが、仙台~青森間に短縮され、やがては寝台車の連結がなくなってしまいました。時の流れと共に窮屈な旧型の寝台車が廃車になっていたのですね。
昭和58年夏休み。襟裳岬まで行くか?とバス手配のため、車掌がカウントしてました。 もともと列車自体そんなに混雑していませんでしたので難なく襟裳岬に行けました。 広尾線もさらりとボックスが埋まるくらいでしたが、幸福から愛国まで乗ったアベックが目の前でイチャイチャするのは参りました。
人それぞれに様々な旅の思い出があるのですね。思い出の投稿を有難うございます。
屈指の地味路線 そんな相生線の音源が聞けてうれしいです
有難うございます。もっと高音質で録れていたら良かったのですが・・・
留萌出身者の鉄道マニアです。とても懐かしい。 ありがとうございます。
こちらこそ有難うございます。留萌ご出身の方にご視聴頂けて嬉しいです。
ありがとうございます。とても懐かしいです。函館から青森の音声や動画は圧倒的に少いので、とても有り難いです。これから上野に向う、ワクワク感があります。
こちらこそご視聴とコメント有難うございます。 連絡船の上り便に乗ると、青森から各方面へ接続列車があって、録音していても楽しかったです。
なつかしい、ありがとうございます
懐かしさを感じて頂けましたら何よりです。
中坊のバリ鉄だった頃、いつか行けるようになったら白鳥で青森出て函館で一泊して宗谷乗って稚内行くと思ってたが、 もう列車の路線縮小だの路線の民間払い下げ(第3セクター)だので絶対無理になってしまったw その代わりバスのはぼろ号に乗って原油温泉の豊富温泉行ったから許すとは思ったがw そこから豊富駅行きのバスに乗り遅れて、幌延に出た時の駅前の何でも屋のおばさん元気にしているだろうか? 待ち時間の飲み物おいしかったよ^^
クセが光る案内😊
このレチ氏 イントネーション関西だね
急行宗谷さま。またCZcamsお薦めに登場するのが遅れて、視聴とコメントも遅れました。謹んでお詫び申し上げます。 特急オホーツク号、急行狩勝1号、千歳線普通列車1230D、同じく急行ちとせ1号、急行らいでん1号といろんな列車録音が登場します。車内録音として「らいでん1号」長万部行きと岩内行きがハイライトになりますが、1年間で僅か2日間しかない公立高校入試に伴う受験生混雑に備えた、急行ちとせ1号の高校最寄駅臨時停車と、受験生に対する乗車券のみでの便宜乗車措置が特に珍しいですね。 本州内地の受験生だと、比較的に普通列車各駅停車が多く運転されていたのでそれで充分でしたが、北海道千歳線沿線ともなると実質的に利用可能な列車が1列車にしぼられてしまうのですね。当然周囲は受験で蹴落としたいライバルばかりですから不測の事態も考えられます。急行列車の高校最寄駅臨時停車と便宜乗車措置は、当時の国鉄北海道総局による粋なご判断だったと愚考いたします。 1978年3月の出来事という事で、同年4月高校現役入学組の世代ですから、2024年現在は62歳か61歳をお迎えの世代だと推察いたします。どのような人生をお過ごしでしょうか?余談ですが彼らのすぐ下の学年が日本国有鉄道最後の高卒新入職員世代になります。1年先輩の彼らももしも職員として採用されていたら、国鉄分割民営化の荒波に翻弄されたのでしょうね。 急行宗谷さま。また興味深い列車の録音と詳しい画像とを考察、編集、録音録画、アップロード作業お疲れさまでした。次なる動画発表を気長に待っています。今回も本当にありがとうございました。
いつもご視聴とコメント有難うございます。公開2日目ですから、「遅れた」ということはないかと・・・ 今回の内容も特に焦点はなく、断片的な録音を時間の経過順に連ねただけのようになってしまいました。 受験生のために急行を臨時停車させる旨の駅構内の放送など、興味がない方にしてみれば「こんなのを録音し、聞いて何が面白いんだ・・・?」となりそうですが、幸いにも当チャンネルを訪れて下さる方々は鉄道好きで、好意的にご鑑賞頂けてる様子です。 それにしても、この時に受験された生徒たちの世代の将来、現在の状況にまで想像を巡らせて頂けるとは、一同レイソル様ってすごいんだなと思いました。 主要列車の録音はほぼ出し尽くした感じで、今後も断片的な録音か、あるいはすでに公開済みの列車の別な日の音声とかになろうかと思います。公開の間隔が空くこともありますが気長にご視聴頂ければ幸いです。
とかく国鉄時代は、増結や臨時列車に関しての意思決定が遅く決まっていないものはダメという風潮がありました。1年前から地域のお祭りのための増結のお願いをしても、車輛がないという理由で却下されるのが国鉄でした。 現場はそれでは困るわけで、特に北海道総局は柔軟に行っていたと聞きます。そういった事実を裏付けるものがあるということは素晴らしいことだと思います。 親方日の丸の国鉄がつぶれた原因もこんなところにあるわけで、急行に急行券なしで便乗させるなどけしからんで、処分の対象になっていたのかも知れません。 山線の優等列車も懐かしいです。ただ、らいでんには乗ったことはないです。いわない線もいけずじまい。何とか北海の食堂車に間に合ったのですが、今となっては何を食べたのかも覚えていませんね。
受験による混雑に国鉄が柔軟な対応をしていて、当時の私も感心したものでした。 偶然に録ることができた案内放送ですが、こんな音声があることすら忘れていました。
発車ベルの音、かなり大きいですね…。連絡船の銅鑼を彷彿とさせますね。 特急には格式があったんですね…。
駅の発車ベルもあまり聞かなくなってきました。 いまどき大音響のベルを鳴らしたら「何事か」と思われてしまうのかもしれませんね。
子供のころ札幌の祖母の家から昆布の自宅に帰るのに乗った記憶が。座れないかもと新聞紙まで持たされたのに割と空いてて無意味に(笑)。近頃混雑する山線小樽ー倶知安間。らいでんのような短距離急行復活しませんかねぇ…
「らいでん」は時間や曜日によって混む列車もあれば、空いていることもあったようですね。 この時も空いていました。
キハ80やキハ56が現役時代なのはこれ貴重ですね アナウンス音声も今のクリアな音声じゃなくAM変調が如何にも時代を感じさせます
「狩勝」はキハ56による堂々とした編成でしたが、「らいでん」はキハ22が主体でキハ21も混ざっていました。 放送の機器類もキハ56とキハ22では違うようですね。
毎回楽しみにしてます。最後の「北海」は学生時代仙台ー深川でお世話になったものです。ご活躍を祈念致します。
「北海」に学生時代の思い出があるのですね。遠い昔を思い出して頂けましたら嬉しいです。
@@kyuukou-souya あ、一回だけ北海のグリーン車に乗りました。いまだにその時だけです。車内販売が一番先で優越感を覚えました。親に言ったら「贅沢すんじゃねー」云われました(笑)。
島松駅最寄りには恵庭北高という学校があるようですね。
島松に公立高校が1校か複数あったかはわかりませんが、受験生の数も多かったことと思います。
ただただ素晴らしい! 鉄道遺産ですね。
いやあ・・・「鉄道遺産」などと呼べるようなモノではなく、鉄道好きのコレクションですが。 でも、そんなお言葉が嬉しいです。